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~神の意志のあるところに道は開ける~

わたしがクリスチャンになるまで その②

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piyopiyohomeschool.hatenablog.com

 

家に来てくれたのは私が高校時代からの親友。でもお互い別の進路を進み、年に一回会うか会わないかくらいの付き合いになっていました。私はもともと、友人に自分から「会おう」と誘うタイプではなく(^^;)いつも友人から誘ってくれて、友情を保ち続けていてくれました。そんな友人があるときから「クリスチャンになった」ということは、なんとなく聞いていたと思いますが、可もなく不可もなく(友人が決めたことなので)以前と同じ関係を続けていました。

 

私がとてもつらく自宅で落ち込んでいた時期に、親友は聖書と、直筆の手紙を持って会いに来てくれました。そのときどのくらい時間を持ったのか、今では詳しくは思い出せません(10年以上前のことなので)が、手紙に書いてあった言葉は、今も覚えています。

 

「何でも話して大丈夫だから。」

「神さまが待ってるから。」

 

正直、当時の私には意味がすべて分かったわけではありませんでした。

神さまが待ってる?わたしを?

一緒にプレゼントされた聖書も、パラパラ見てみました。

???

なになに?どこから読めばいいの?辞書みたいに分厚いんですけど・・・

 

でも、持ってきてくれたということは、ここに私が立ち直るメッセージが書かれているんだろうか・・・

 

とにかく、分かったことは「聖書はわたしひとりでは読めない」

ということでした(笑)

注:ノンクリスチャンでもお一人で最初から読破してしまった!という方もいらっしゃるようなので、これはあくまで私のケースとご理解下さい<(_ _)>

 

 

でも、私を励ましに来てくれた友人の気持ちがものすごく嬉しくて、

(そして聖書を一人では理解できないのもあり)

 

(友人が誘ってくれてるし)教会に行ってみようかな?

 

という気になったのです。

 

それまでの私の「教会」のイメージは、

 

「大きな十字架がある、立派な建物」

「牧師さんは厳格なおじいちゃんで支配的」

「日本にいる外国人がたくさん来ている」

「クリスチャンの人しか入れない」

「弱い人(神さまに頼るしかなくなった人)が行くところ」

「一度建物に入ったら、勧誘され説得され洗脳されるかも??」

「悪いことをしていたら『ざんげ』させられる?」

 

などなど・・・

 

しかし、これらの(本当に自分勝手な)想像は、なにひとつあてはまらない体験をすることになったのです・・・

 

~わたしがクリスチャンになるまで ③に続く~