わたしがクリスチャンになるまで その①
我が家がホームスクーリングをしている理由のひとつに、「聖書を土台とした教育をしたい」というのがあります。
それは、わたし自身がクリスチャンで、「神さまを信じてよかった💛」という思いが常にあり、
愛する子どもにも、神さまと一緒に歩んでほしいと思っているからです。
この世界を創造された神さまは私たち一人一人にとても関心を持っていて、
すべての人が、それぞれの使命やすばらしい賜物を与えられています。
神さまを知る前までの私は自分に自信がなく、人と比較し、時に優越感、時に劣等感を感じながら、
常に「自分を必要としてくれる存在」「変わらず愛してくれる存在」を求めて生きていた気がします。
10代の後半から6年半、私には交際している方がいて、そろそろ結婚を・・・という話になっていました。彼の家族にも受け入れられていたので、自然な流れでした。
その彼がある日突然、吐血して倒れ、救急車で搬送されました。
彼の家族から連絡をもらい、急いで病院まで車をとばしている間、私はそれまでほとんど意識したことのなかった「神さま」に必死で祈りました。
「彼を助けてください!」と・・・
でも、心のどこかではそんな自分に
「なんて都合がいいんだろう」
「こんなときだけ神頼みしてきいてもらおうなんて」
という思いもありました。
結果、彼はくも膜下出血で帰らぬ人となりました。
ショックでした。どうしようもない悲しみ、虚しさ。
でも、その次にきた感情は、「怒り」でした。
ひとつは、「どうして前兆に気づいてあげられなかったのだろう」という自分への怒り。(彼は何度か嘔吐するほどの頭痛がありました。受診を促しましたがそこまでは強く勧めませんでした)
もうひとつは、
「先にいなくなってしまって、これから先の人生の責任をどうとってくれるの?!」
という彼への怒りでした。
今振り返ると、なんて自分勝手な人間だったのであろうと思いますが、当時は、やり場のない思いに苦しんで、「心にぽっかりと穴があいたような状態」で日々を過ごしていました。
つらい心の奥の思いを家族にも話せず(心配させてしまうのが嫌だった)、「わたしが生きている意味があるのだろうか・・・」と考えていました。
そんなとき、クリスチャンになったばかりの親友が家に来てくれたのです。
~わたしがクリスチャンになるまで その②に続く~